東京高等裁判所 昭和49年(う)1330号 判決 1977年5月30日
被告人 廣田弘之
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、被告人廣田弘之作成名義の控訴趣意書、弁護人島田正雄、同小沢茂、同青柳孝夫、同秋山昭一、同佐藤義行、同鶴見祐策、同佐々木恭三、同佐藤勉、同永瀬精一連名作成名義の控訴趣意書(但し、当審第一回及び第二回各公判期日において字句を訂正したもの。)、弁護人島田正雄作成名義の昭和五〇年二月二六日付及び同年五月一六日付各控訴趣意補充書、弁護人鶴見祐策作成名義の控訴趣意補充書にそれぞれ記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官塚本明光作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。
一 弁護人らの控訴趣意第四点及び第七点等のうち、理由不備ないし理由そごの主張について。
1 所論は、原判決は三村孝(以下「三村」という。)の妨害されたとする職務が何であるかを明示していないというが、原判文を通読すれば、原判決が、被告人を含む墨田民主商工会(以下「墨田民商」という。)会員の向島税務署庁舎内への立入り阻止するため、同庁舎の正面玄関のとびらをしめようとした三村の行為をもつて、妨害された職務の執行に当たると判示していることは明らかであるから、右所論の点に関し、原判決の罪となるべき事実の摘示に欠けるところはない。なお、右の「とびらをしめようとする行為」が庁舎内への立入り阻止の職務に含まれる趣旨であることは、原判文に照らしても明らかであるから、妨害された職務の認定につき、原判決に訴因を逸脱した違法は認められない。
2 所論は、原判決は被告人による職務妨害行為が「両手で三村孝の着用しているワイシヤツのえり元をつかんで、前後に二、三回こづい」た行為だけであるのか、これに加えて「とびらの内側にはいり、からだでささえてとびらがしまらないようにし」た行為を含むのかを明確にしていないと主張する。たしかに、原判示の罪となるべき事実によれば、被告人の妨害行為が右の三村に対する直接暴行のほか、「とびらをしまらないようにし」た行為を含む趣旨なのか、いささか明確性を欠く表現になつていることは否定できないけれども、原判示も「しまらないようにしながら」、三村に直接暴行を加えた旨判示していて、「しまらないように」する行為と直接暴行とを並記していないこと、本件訴因では「……押すなどの暴行を加え」となつているが、検察官は原審で右の「など」の内容につき、わざわざ直接暴行に限定して釈明していることなどの諸点にかんがみれば、原判文の「とびらをしまらないようにしながら」という表現は、三村に対する直接暴行の際における行為の状況を具体的に判示したにとどまり、これを越え、間接暴行ないしは物に対する有形力の行使をことさら妨害行為の内容として取り上げ、判示したものでないと解することができるから、右の点に関する原判決の判示は、いまだ所論の理由不備等に至らないものといえる。
3 所論は、原判決が「全体への奉仕者としての公務員の義務」をもつて、税務署庁舎への立入り規制権限の発生根拠としているのは論理の飛躍であり、原判決は右立入り規制権限の法律上の理由を判示していないと主張する。なるほど、原判決は税務署庁舎内への立入り規制が庁舎管理権に基づく旨を明示していないが、その判文によれば、原判決が所論の公務員の義務から、これを唯一の根拠として、かつ当然に右の立入り規制が可能であると判示しているものでないことは明らかであつて、原判決も、右立入り規制の根拠として、庁舎管理権によることを否定したものではなく、ただ、とくに憲法一五条二項による公務員の義務を強調したものと解されるから、原判決には、所論のような論理の飛躍はなく、前記立入り規制権限の法律上の理由につき判示がないともいえない。所論の点に関し、刑訴法四四条一項、三三五条一、二項により要求される判決の理由ないし判断につき、原判決の判示に欠けるところはない。
4 所論は、原判決が一般国民には税務署への立入り権を認めながら、税法に対する合理的見解を基にした要求を持つ国民ないし民主商工会会員には、税務署への立入り権を否認しているのは、理由そごの違法があるというのであるが、原判決も、税法に対する合理的見解を基にした要求を持つ者につき、そのことのゆえに税務署庁舎内への立入り規制が是認されると判示しているわけではないから、所論は原判決を正解しないことによるものというのほかなく、前提において失当である。
5 所論は、原判決が「弁護人らの主張に対する判断」の項において「集団陳情者の署内立入りを阻止しようとしたのは、合理的に納得のいく範囲内の規制であつて適法であ」ると判示しているのは、理由のない独断であるというが、原判文によれば、所論の点についても、その理由が判示されていることは明らかであるから、所論は独自の見解というのほかはない。
6 所論は、原判決が「弁護人らの主張に対する判断」の項において「合理的に納得のいく範囲内で、ある程度の制限、規制をすることができる」と判示した点をとらえて、その制限・規制が何を意味するかが明白でないと主張するが、原判文を通読すれば、原判決も、右制限ないし規制のなかに、一定の範囲内ではあるが、税務署内への立入り阻止を含む趣旨で判示していることは明らかであり、このように解することについて、用語上に支障があるとも認められないから、右の所論は採用できない。
また、所論は、原判決は税務署の誰が制限・規制の権限を有するかについて明白な判示をしていないというが、原判決は「犯行に至る経緯」の項において、三村の署内立入り阻止の職務が向島税務署市川総務課長の指示に基づくものであると判示したうえで、三村の右職務執行が適法であることの理由として、「弁護人らの主張に対する判断」の項において、右所論引用の判示をしているのであるから、所論の点に関する原判決の判示が明確性に欠けているとはいえず、所論は採用できない。
7 その他所論にかんがみ原判文を検討しても、原判決には、何らの理由不備ないし理由そごも認められない。
二 原判示の見解自体が憲法一四条に違反するとの主張について。
所論は、原判決が「弁護人らの主張に対する判断」において、「ある特定の国民の要求に応ずることによつて、大量の時間を費したり、署内の秩序が乱されて多数の職員の事務処理に支障をきたすようなことにな」る場合には、署内への立入りを拒否できる旨判示しているところ、右にいうある特定の国民とは、税法に対する合理的な見解を基にした要求を持つ国民ないし民主商工会会員を指していることは明らかであるが、右のような場合が生ずるのは、むしろ税務署の責任によるものであるにもかかわらず、原判決がこれを右の国民ないし民主商工会会員の責任によるものとして、その署内立入り阻止を適法と判示しているのは、憲法一四条に違反した見解であると主張する。しかし、原判文によれば、原判決も、「ある特定の国民」とは「税法に対する合理的な見解を基にした要求を持つ国民ないし民主商工会会員」であると判示しているわけではなく、また所論の理由から市川の立入り禁止の措置を正当と判示しているわけでもないから、所論は原判示の曲解を前提としたものというのほかなく、前提において失当である。なお、市川が立入り禁止を決めた理由は後記認定のとおりであつて、右所論の理由によるものではないから、市川による立入り禁止の措置及びこれを正当と判断した原判決の見解に所論の違憲は認められない。
三 刑法九五条の解釈に誤りがあるとの主張について。
所論は、三村らの行為は被告人らの庁内立入りを阻止するためのものであるから、あけられたとびらを押え庁内に立入ろうとした被告人の行為が前提とされていることはいうまでもなく、したがつて、被告人の右前提行為が三村らの立入り阻止行為を妨害したとされるいわれは全くないのに、原判決は職務執行の対象となつた行為と当該職務執行を妨害する行為との相違を意識せず混同しているのであつて、「職務ヲ執行スルニ当リ之ニ対シテ暴行」を加えたものを処罰の対象としている刑法九五条について、法律の解釈を誤つていると主張する。しかし、所論にかんがみ原判決を検討しても、原判決が職務執行の対象となる行為と職務執行を妨害する行為とを混同したふしはうかがわれず、原判決に刑法九五条の解釈を誤つた違法は認められない。
四 弁護人らの控訴趣意第七点、第一〇点及び被告人の控訴趣意等のうち、訴訟手続の法令違反ないし審理不尽の違法の主張について。
1 所論は、三村の職務の執行について、その適法性の根拠に関する原審の審理が庁舎管理権ないし非常事態対策要綱を中心に進められていたにもかかわらず、原判決は右適法性の根拠をいきなり憲法一五条二項に求めたようであるが、これは全くの不意打ちであり、原裁判所及び原裁判長としては、右の判断に関しても、その法的根拠、要件のほか、規制権限の主体、権限行使の方法等について、被告人・弁護人側に意見陳述の機会を与え、かつ反証活動を促す義務があり、更に、職権で証拠調を実施すべきであつたのに、これらの義務を怠つたのは、刑訴法二九四条、二九八条二項、刑訴規則二〇八条に違反するものであり、審理不尽の違法を犯したものであると主張する。
なるほど、記録を調査すると、右適法性の根拠について、原審では、庁舎管理権ないし向島税務署の非常事態対策要綱が審理の中心となつていたことが認められるのに、原判決がこれらの点につき判断を明示しなかつたことは所論のとおりである。しかし向島税務署庁舎内への立入り規制ひいては三村の職務執行の適法性について、原判決が庁舎管理権を根拠とすることを否定し、憲法一五条二項所定の公務員の義務のみによつたものでないことは、前記一・3で判示したとおりであり、記録によれば、原審理の各過程において、右立入り規制ないし適法性の根拠、要件、権限行使の主体・方法等の諸点につき、実質的には憲法一五条二項の趣旨をも含めて必要かつ十分に審理のなされていることが認められるから、原審の審理ないし訴訟手続に所論の違法は認められない。
2 所論は、原審は民商弾圧の本質と政治的社会的基盤について理解しようとする姿勢に欠けるばかりでなく、被告人の加入する民商運動に予断と偏見を抱き、その結果として正義に反する誤つた有罪判決をしたもので、これは刑訴法三一八条所定の自由心証主義の趣旨に反するというのであるが、記録を調査し、当審における事実取調の結果に徴しても、原裁判所が所論の姿勢に欠け、また所論の予断と偏見を抱いていたものとは認められず、所論の違法は認められない。
3 その他所論にかんがみ記録を検討しても、原審の訴訟手続には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があるとは認められない。
五 弁護人らの控訴趣意第一一点(憲法七六条三項違反の主張)について。
所論は、原審裁判官の思想の根底には民商暴徒論ともいうべき固定観念ないし予断偏見が存在しており、それは単に裁判官の内心の問題として看過できないものであるから、原判決は憲法七六条三項に違反しているというのであるが、原判決を含む記録を検討し、当審における事実取調の結果に徴しても、原審の審理・判決に関与した各裁判官において、所論のような固定観念ないし予断偏見を有し、かつこれに基づいて判決をした事跡は認められず、原判決に所論の違憲の点は見当らない。
六 弁護人らの控訴趣意第一点ないし第三点は事実誤認の主張であり、同第四点中には憲法違反並びに憲法の解釈適用を誤つた旨の各主張があり、同第五点及び第六点は憲法を含めた法令の解釈適用を誤つた旨の主張であり、同第七点中には法令適用の誤りの主張があり、同第八点及び第九点は事実誤認及び法令の解釈適用の各誤りの主張であり、同第一〇点には事実誤認の主張があり、被告人の控訴趣意はおおむね事実誤認の主張であるが、その主要なものは、要するに次の諸点とみられる。
(一) 被告人は、三村に対し原判示のような暴行を加えたことはなく、傷害を負わせたこともない。
(二) 原判決は、「犯行に至る経緯」及び「弁護人らの主張に対する判断」の各項において、被告人らの署内立入り阻止を適法とするような事情があつた旨認定判示しているが、被告人らが向島税務署に赴いたのは正当であつて、同税務署において被告人らの庁舎内立入りを拒否できる理由はなく、また、立入り阻止の口実となるような過去の事例はないし、被告人らの行動等に同税務署内の秩序を乱し、執務の妨害をもたらすおそれのある事情はなかつた。
(三) 原判決は、「犯行に至る経緯」の項において、向島税務署では被告人らに理由を告げて入署を拒んでいた旨認定判示しているが、被告人らにおいて、向島税務署から、署内に立入つてはならない旨の特段の命令を受けた事実はなく、また入署拒否について、あらかじめ理由を告げられた事実もない。むしろ被告人は、とびらをあけて署内に入れてくれるものと思つていた。
(四) 本件において、向島税務署長をはじめとして、その補助職員である市川総務課長、三村会計係長にも、被告人らの同税務署庁舎内への立入りを阻止する権利、権能はなく、したがつて、三村が被告人らの署内立入りを阻止した行為は違法である。すなわち、
(1) 国民の税務署内への立入り権は、国民主権主義、民主主義の諸原理から直接導かれる憲法上の権利であるから最大限に保障されるべきであつて、その制限・規制は、右立入り権が国民の他の憲法上の権利と衝突した場合に、後者の権利を保障する範囲内でのみ許されるに過ぎない。したがつて、原判示のように、国民の税務署庁舎内への立入りを、もつぱら税務署側の事務処理の都合によつて制限・規制することは許されず、また、その制限基準も、原判示のように、職員の事務処理に「著しい支障」をきたす場合あるいは「合理的に納得のいく」場合というような不明確、不十分なものであつてはならない。
(2) 国民の税務署庁舎内への、立入りを規制することは、国民の憲法上の権利を規制するものであり、また、行政上の即時強制にも当たるから、これを可能とするためには、憲法の趣旨に従い手続、要件等を定めた具体的な実体的法令を根拠とすべきであつて、原判決援用の憲法一五条二項は何ら具体的根拠規定とならない。具体的な法令の根拠もないのに、裁判所もしくは行政庁が憲法解釈によつて直接、国民の権利を制限・規制する権限を特定の者に与えることは、自ら立法行為を行なうもので、憲法四一条に違反する。また、公物管理権ないし庁舎管理権は、公物それ自体に対する物的支配権を意味し、前記立入り阻止を含む対人的規制措置の法的根拠となり得ない。もとより、官庁ないしその末端組織が単に組織法上、庁舎管理権の所掌事務を分掌しているだけでは足りず、本件において、大蔵省設置法及び同法以下の規程、訓令等は、いずれも事務分掌に係る組織規定に過ぎないのであつて、即時強制その他右立入り規制の根拠となり得ない。
(3) 右立入り規制の根拠法令は、国民を規制するものであるから、内規のたぐいが右法令に含まれるとしても、すべて公布ないし公示されることを必要とする。したがつて、向島税務署の非常事態対策要綱のごときは全くの極秘文書であるから、右立入り規制の法的根拠となり得ない。
(4) 本件において署内立入り阻止の根拠になつたのは右の非常事態対策要綱であるが、同要綱は、民主商工会及びその会員だけを規制の対象とし、しかも二人以上は集団として規制することを内容とするものであるから、憲法一四条、二一条に照らして、三村の職務執行を適法とする根拠規定とならない。
(五) 即時強制による庁舎内立入り阻止が許されるとしても、即時強制は、その目的達成に必要な最少限にとどまるべきであるところ、本件において、
(1) 被告人らは集団陳情者ではなく、
(2) 過去において墨田民商会員が「執務を著しく妨害した事実」はなく、
(3) 本件当日、被告人より先に向島税務署に到着し、同庁舎内にはいつた寺門昭ら三名において、執務を妨害した事実はない。
のであるから、本件において、被告人を含む三名の庁舎内立入りを拒否する必要はないのに、右立入り阻止が「合理的に納得のいく範囲内での規制である」とした原判決には、即時強制の必要性についての事実の誤認、ひいては即時強制の要件に関する解釈を誤つた違法がある。
(六) 原判決は、「弁護人らの主張に対する判断」の項において、「集団陳情者の署内立入りを阻止しようとしたのは、合理的に納得のいく範囲内の規制であつて適法であ」ると判示しているが、すべての国民が税金に関し平穏に税務署庁舎内にはいる権利は憲法一五条二項に基づくものであるから、原判決の右判示は憲法一五条二項に違反するか、同条項の解釈を誤つた違法がある。したがつて、右の判示を根拠に、これに続いて、さらに「上司の命令により玄関のとびらの開閉にあたつた三村孝の行為もまた適法な職務の執行というべきである。」と判示しているが、上司の三村に対する右命令自体が違憲違法であるから、この違法命令に基づく三村の右行為も適法な職務の執行とはいえない。しかるに、これを適法な職務の執行と認定判示した原判決は、憲法一五条二項に違反するか、同条項の解釈を誤つた違法のものである。
以上のとおりである。よつて以下これらにつき検討する。
1 原判示の事実は、罪となるべき事実のほか、後記別論の点を除き、「犯行に至る経緯」及び「弁護人らの主張に対する判断」の各項に摘示された事実関係を含め、すべて原判決の掲げる証拠により十分に認めることができ、所論にかんがみ、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果を参酌しても、右の認定を左右するに至らない。
以下、主要な点につき説明を付加する。
(一) 所論は、寺門昭の回答要求の内容につき原判決の事実認定を争うが、原判文によれば、原判決は右の内容につき「犯行に至る経緯」の項において、ただ「課税に関する理由等」と判示しているに過ぎないことが認められるところ、右回答要求の文書である昭和四六年七月二一日付内容証明郵便の写(東京高裁昭和四九年押第三九二号の三)には、異議審理においては質問検査権はないはずであるのに、向島税務署があると主張するのであれば、その根拠を明らかにし、かつ、原処分の理由の開示を求める旨が記載されているのであるから、この記載を「課税に関する理由等」と要約判示した原判決の認定は相当であつて、原判決に所論の事実誤認はない。
(二) 所論は、被告人らが向島税務署に行くに至つたいきさつないし目的について、原判決には事実の誤認があると主張するところ、記録中の関係証拠によれば、原判示のように異議申立につき棄却決定の通知を受け、また市川総務課長から電話連絡を受けた寺門は、その旨被告人に電話をして相談するなどしたこと、被告人はさらにその旨を墨田民商の役員に連絡したことなどから、翌八月六日午前九時三〇分ごろ、被告人及び寺門のほか、当時の墨田民商事務局長大山茂、同東吾嬬支部長村松孝三及び同会員井口正、同沢田義行の合計六名が墨田民商事務局に集合し、寺門が異議申立につき棄却決定の通知を受けたことや、前日の寺門に対する市川総務課長の電話内容につき協議した結果、これは寺門個人の問題であると同時に納税者一般の問題でもあるとして、六名とも向島税務署へ赴いて、右異議申立棄却決定の理由や、右(一)で認定した回答要求に対する同税務署側の見解を聞き、かつこれらを問いただそうということになり、右の六名が同税務署へ赴いたものであることの各事実が認められ、証人寺門昭、同井口正、同村松孝三の各原審公判供述並びに被告人の原審及び当審各公判供述中、右認定に反する部分は信用でない。右認定の事実を原判文と対比して検討すると、被告人らが向島税務署へ行くに至つたいきさつないし目的の各一部について、原判決の認定はやや抽象的に過ぎ、また若干証拠にそぐわない点のあることが認められ、この限度で事実関係に誤認があることは否定できないというべきである。しかし、その誤認は右の程度に過ぎず、しかも罪となるべき事実そのものに関するものではなく、後記の事実認定ないし法律判断に影響を及ぼすものではないから、もとより判決に影響を及ぼすことが明らかなものとはいえない。
(三) 前記(三)の所論、すなわち被告人は庁舎内に入れてくれるものと思つていた旨の主張については、原判決は「犯行に至る経緯」の項において向島税務署では被告人らに理由を告げて入署を拒んでいた旨認定判示しているところ、原審第六回公判調書中証人市川英雄の供述部分には(以下「証人市川の原審第六回公判供述」などと略称。また原審第五及び第六、第八ないし第一二回各公判調書中の他の証人の供述部分についても同様の略称で判示する。)、当時の向島税務署総務課長市川英雄(以下「市川」という。)において、同税務署の玄関で被告人らに理由を説明して入署を拒んだ趣旨の記載のあることが見受けられるが、同供述によつても、右の説明がとびらをあけてなされたものか、したがつて被告人らに伝わつたものであるかは必ずしも明らかでなく、他の関係証人の証言中にも市川の右供述を裏付けるものは見当らないから、原判決の右判示事実を肯認するについては、なお疑問の余地があり、この点において原判決は事実を誤認しているものというべきである。しかし、右の誤認は、罪となるべき事実そのものについてではなく、また、以下に認定する被告人の当時における認識に徴しても、いまだ判決に影響を及ぼすことが明らかなものであるとはいえない。
ところで、記録中の関係証拠によれば、本件当日までに、向島税務署が被告人を含む墨田民商会員に対し、庁舎内立入りを事前に阻止したことはなく、本件当日も、被告人らに対し、右措置の趣旨が掲示、貼り紙その他明確な方法で告知された事実はなく、また、当日、被告人らより先に向島税務署に到着した寺門昭らの三名は何らの阻止を受けることもなく玄関から庁舎内にはいつたことの各事実が認められる。被告人は、原審及び当審各公判において、右の諸点などをも踏まえたうえ、さらに、右玄関内にいた当時の同税務署管理課長佐藤満(以下「佐藤」という。)らの態度などから、原判示の他の来署者を帰した際に、庁舎内へ入れてくれるものと思つて、玄関からはいろうとした旨弁解する。しかし、このような弁解は、被告人の捜査段階における犯行否認の供述調書でも見受けられないところであつて、証人佐藤の原審各公判供述に照らしても信用できない。
そして、記録中の関係証拠とくに被告人の司法警察員に対する昭和四六年八月二一日付供述調書によれば、被告人は、あらかじめ寺門から、市川が寺門一人だけで来庁するように、他の民商会員が来ても面会しない旨の電話連絡をしてきたことを知らされていたことが認められるうえ、被告人の当審公判供述によつても、当時被告人は向島税務署の玄関のとびらがしめられていたのは被告人らの庁舎内立入りを阻止するためのものであると理解したというのであり、さらには、後記認定の本件当日までにおける墨田民商会員と向島税務署との関係等の諸事情によれば、被告人は、最後まで自分達の庁舎内立入りが阻止されていることを知りながら、原判示のように、とびらがあけられた隙に、あえて庁舎内へ立入ろうとしたものであると推認することができる。
(四) 原判示の暴行の事実は、記録中の関係証拠とくに証人三村孝及び佐藤満の各原審公判供述によつて認めることができ、証人原斉の当審公判供述もこれを肯定するものである。被告人は、捜査段階、原審及び当審各公判を通じ、終始犯行を全面的に否認しており、また、原審公判段階において向島税務署関係者が非常事態対策要綱原本の提出をめぐつて示した措置に明朗を欠く点のあることなどにかんがみ、当裁判所としても、右各証言の信用性につき慎重に検討を加えたが、これらの各証言が、原判示の犯行に関しとくに意図的に事実を曲げて供述しているふしはうかがわれないし、証人三村の当審公判供述も以上の判断を左右するに至らない。さらに、証人三村の原審第一一回公判供述によれば、三村は原判示の暴行を受けている際に「暴力はやめろ」と叫んだことが認められるところ、このような三村の発言のあつたこと自体については、被告人の司法警察員に対する前掲供述調書も肯定するほか、被告人も原審公判で肯認する趣旨の供述をしているのであつて、本件暴行を裏付ける情況の一つになりうるものといえる。
なお、証人三村の原審第一三回公判供述等によれば、三村は暴行を受けている時も、終始、開かれたとびらの内側取手を両手でつかんで離さなかつた事実が認められるところ、所論は右事実を前提に、被告人が原判示の暴行を加えることは物理的にも不可能であるという。しかし、本件暴行の具体的態様は主として証人三村の原審第一一ないし第一三回各公判供述によつて認められ、要するに、被告人は三村の右肩前のあたりに立ち、その両腕越しに、自らの両手を伸ばして三村のワイシヤツのえり元をつかんで暴行に及んだのであるが、右公判供述によれば、三村の身長は一五七センチメートル位で被告人よりかなり低いことが認められるから、被告人の暴行は物理的にも十分に可能であつたと認められる。また、所論は、本件において暴行を加えるだけの時間的余裕もないまま、被告人は庁舎外へ押し出されたというが、被告人の捜査段階における原判決挙示の各供述調書に徴しても、原判示の暴行が加えられるだけの時間的余裕のあつたことが認められる。また、前掲各証拠によれば、被告人が多勢の税務署員により庁外へ押し出されたものでないことが認められるのであり、このことは、とくに当時の向島税務署総務課総務係長原斉が被告人の後ろにまわり、その腹に両手を回して被告人を引つ張つていること、庁外へ出たのは、右原と被告人のほか、三村と被告人との間に割つてはいつた佐藤の三人だけで、三村は玄関内にとどまつていたことなどの各事実が認められることに徴しても明らかである。
証人井口正の原審公判供述並びに被告人の捜査段階(原判決挙示のもの)、原審及び当審各公判供述中、以上の認定に及する部分は信用できない。
(五) 次に、傷害の事実については、証人三村の原審各公判供述と証人川田深太郎の原審第六回公判供述ないし医師である同人作成の診断書との間には、表現において所論のような相違点のあることが認められるが、この相違は、右川田の証言ないし診断書の記載が主として初診時における医師の専門的立場からなされた診断に基づくものであるということによつて、十分に首肯できる範囲内のものと認められる。また証人三村の原審各公判供述、三村の検察官に対する昭和四六年八月二七日付供述調書抄本(原審提出)、同じく同年九月六日付供述調書写(当審提出)及び証人三村の当審公判供述の間には、所論指摘の諸点につき相違した表現のあることが認められ、その信用性については十分な吟味の必要であることはいうまでもないが、以上の相違を考慮に容れても、なお記録中の関係証拠とくに証人三村及び同川田の前掲原審各公判供述並びに右川田作成の診断書によれば、三村が被告人の暴行により、すくなくとも原判示の傷害を負うに至つた事実は十分に肯認することができ、なかんずく証人松ヶ谷隆の原審第五回公判供述は右の事実を裏付けるものであつて、証人三村の当審公判供述も右の認定を左右するに至らない。なお、所論は、とくに、原判示の程度の暴行から原判示の傷害は生じない旨強調する。しかし、証人三村は原審公判において、被告人による暴行の具体的内容につき、「首が上にあがるような状態で二、三回やられたわけです。」、「ワイシヤツのここを持たれまして、胸ぐらをつつかれたわけです。」、「二、三回です。」、「強くです。」、「苦しみを感じました。胸が押されたものですから、たたかれたものですから、目と鼻で接近しておりますから………。」、「つつかれた瞬間苦しくなつたんで(後略)」、正確にいうと「たたかれたということです。」、苦しいというのは「きつくです。」、「痛みはありました。」、「ここらへん(乳の上あたり)ですね。」、首が上に向いたようになつたのは、広田の「手が上へ持ち上がつてきているわけなんです。」(以上原審第一一回公判供述)、つつかれたのではなく、「たたかれたんです。」、「ワイシヤツを持ちまして、これでこう強くたたいたわけですね。」、両手でもつて押されたという「検事調書のとおりです。」、「突つかれましたです。」、「こういうふうにして。(両手でワイシヤツの胸倉をつかんで押す格好を示す。)」、「突つかれたということですか。」(以上原審第一二回公判供述)、「広田さんは胸ぐらをつかみまして二、三回………。」「胸ぐらをつかまれて首が上に向いたような状態になりましたので、やめろということで二、三回いつたんです。」、「たたいたとかいうんじやなくて、それはつつかれたというのに訂正させていただきたいと思います。」(以上原審第一三回公判供述)などと供述しているのであつて、以上の供述によれば、ワイシヤツをつかんだ被告人の両手により、二、三回首が上にあがるような状態で強く突つかれた事実が認められるのである。この認定事実によれば、被告人の暴行により原判示の程度の傷害が生ずることも十分に可能と認められる。証人三村は当審公判で、当時ワイシヤツの下に半そでのクレープシヤツを着用していたと供述しているが、右暴行の態様、程度等にかんがみると、この供述をもつて右認定を左右することはできない。もつとも、原判決は、被告人の三村に対する暴行として、「両手で三村孝の着用しているワイシヤツのえり元をつかんで、前後に二、三回こずいて」と認定判示しているところ、この「こづく」という行為の具体的意味、内容について、これを明確にせず、その判示の程度がいささか抽象的であることは否定し難いのであるが、前記認定の趣旨を意味し、これを表現したものと解することができないではないから、右の原判示をもつて、理由不備ないし理由そごの事実摘示と解するまでには至らない。
(六) 以上の次第であるから、以上の点に関し原判決に所論の事実誤認はない。
2 次に、三村の職務執行の適法性について検討する。
(一) 国税の賦課徴収の事務は国の行政事務に属するところ、そのうち、内国税の賦課徴収に関する現業事務については、国家行政組織法、大蔵省設置法、大蔵省組織規程等(いずれも当時施行のもの。以下、法令、省令、訓令等いずれも同じ。)によつて税務署が分掌するものであり、さらに、東京国税局管内の税務署について、同国税局長昭和四六年七月一日訓令一二号税務署処務規程四条は、「署長は、署務全般を統理する。」と規定している。また、税務署の庁舎は、国有財産法三条一項所定の行政財産であり、同条二項一号にいう国において国の事務に供している公共財産に属し、いわゆる公物ないし公用物に当たるとされているものであつて、その庁舎管理の権限は、同法五条、九条一項、同法施行令六条一項、大蔵省所管国有財産取扱規則四条一、二項のほか、前掲諸法規、東京国税局長訓令等により、税務署長にあたると認められる。
(二) ところで、税務署の庁舎は、右のように公用物であるから、道路や公園のように公共の用に供される行政財産と異なり、一般公衆が自由に出入りしたりすることのできるものではないが、納税義務者、徴収義務者その他税務署の所掌事務に関し用件のある者(以下「納税者等」という。)は、その用件に関して税務署内へ平穏に立入る自由が認められていることはいうまでもない。もつとも、行政は、究極において主権の存する国民のためにあり、国民に奉仕すべき性格のものであるうえ、殊に、国税を含め租税の賦課徴収の事務は、法律に従つて実施されるものとはいえ、納税者等に対し行政上優位ともいうべき立場から行なわれ、国民の財産にもかかわるものであるから、課税の公正を期するためにも、納税者等の理解と協力が必要であつて、税務署の職員は、用件のため来署する納税者等に対して懇切に応待し、その言い分に耳を傾けて、かりそめにも、違法・不当な課税がないように、誠実に事務を処理すべきであり、税に関する主張や言い分が違うということだけから、応待ひいては署内への立入りを拒否するようなことは許されない。また、課税に関し国民の正当な利益を保護するためには、単に個々の課税につき法律上の救済措置が保障されているだけではなく、国民による十分な批判や監視の余地が残されていなければならない。しかし、国税は国の主要な財源調達の手段であり、国税の賦課徴収の事務はきわめて強度の公共性を有するものであるから、この現業事務を担当する税務署の業務は、円滑かつ能率的に遂行される必要があり、これが阻害されることは、国の財産上の基盤をそこなうだけでなく、他の納税者等の迷惑にもなり、ひいては、税負担の不公平を招くことにもなる。したがつて、税務署長は、税務署の業務が円滑かつ能率的に遂行されるための措置を講ずる権能と責務を有するものであり、外来者の税務署庁舎内への立入りを認めることによつて、執務に支障をきたすような事態の発生が客観的にも予測されるなど、税務署長において同庁舎内の秩序を維持するために必要があると認めるときは、庁舎管理権に基づき、外来者の庁舎内立入りを禁止することができるものと解するのが相当である。この点に関する前記所論は、独自の見解であつて、採用できない。
(三) ところで、三村の職務執行の適法性に関する事実関係については、前記六・1で合わせ判示したとおりであるが、所論にかんがみ、その主要な点につき説明を付加するに、記録中の関係証拠によれば、以下の事実が認められる。
(1) 市川が向島税務署総務課長として着任したのは昭和四五年一二月五日であるが、墨田民商会員ら一四名位は、同月一五日午前九時三〇分ごろ、同税務署に赴き、課長と課員が同室する総務課室において市川に対し、署長との面会を要求し、会員四名に対する更正の理由の開示を求めるなどして、集団では面接に応じないなどの理由で拒否されるや、さらに所得税課長との面会を要求し、署内でビラ約三〇枚を配付したりなどしたが、同日午前一一時ごろ署内放送により署長名で退去命令が出たので、退去したこと、
(2) 翌四六年三月一三日、墨田民商会員を含む約千名がデモ行進したうえ、うち七百名余が、比較的に整然かつ短時間内に終つたとはいえ、集団で向島税務署に確定申告をしたこと、
(3) 被告人及び墨田民商会員小島三郎を含む同会会員約三〇名は、同月二六日午前九時三〇分ごろ、向島税務署に赴き、総務課室及び会議室において、市川に対し、一時間余にわたり、当日不参の寺門に対する原判示の更正決定及び右小島三郎に対する更正決定等の理由の開示を要求し、集団による要求には応じないなどの理由で拒否されても納得せず、市川の退席を妨げるなどして、退去命令が発せられ、同日午前一〇時四〇分ごろ退去したこと、
(4) 寺門は、同人に対する原判示の更正決定等につき、同年五月七日付で向島税務署長に対し異議を申し立てたが、同日午後一時三〇分ごろ、他の墨田民商会員で、それぞれ自己の異議申立、審査請求等をする三名を含む七名とともに同税務署に赴き、総務課室において係員に対し、右更正決定等に抗議するとともに、その理由の開示などを要求して税務署側の回答を求め、さらに署長との面会を求め、後日回答の確約を得て同日午後二時二〇分ごろ退去したこと、
(5) 被告人を含む墨田民商会員三〇名余は、同月二六日午前九時過ぎごろ、向島税務署に赴き、総務課室において市川に対し、前年度の確定申告に関し同税務署所得税課から二〇名前後の会員に呼出状が来たことや、会員の一部が提出した異議申立書の内容等に関して署長との面会を求め、個々の事案でも本人以外の者や集団には取り合わないと回答されたので、所得税課の係員と話合い、約四〇分後に退去したが、帰りぎわに署内放送で退去命令が発せられたこと、
(6) 被告人を含む墨田民商会員約二〇名は、同年六月二四日午前九時三〇分ごろ、向島税務署に赴き、総務課室において市川に対し、会員の一部に対する課税問題につき話合を求め、集団陳情は受付けないと言い渡され、個別に回答を得たのち、さらに全員、所得税課において説明を求めたが、同日午前九時四〇分ごろ退去命令が発せられ、同五〇分ごろ退去したこと、
(7) 市川は、本件前日の八月五日、寺門との電話連絡のなかで、同人が即答を避け、また、ひとりで来るようにとの申し入れにも、それはわからないという趣旨の返事をしたことなどから、これまでの例からしても、翌六日は寺門ひとりではなく、墨田民商会員が多勢で来るものと予想し、右五日は折柄、署長、副署長とも不在であつたので、前記東京国税局長昭和四六年訓令一二号税務署処務規程一八条以下の規定による代決ないし東京国税局長昭和四六年七月一日訓令一三号税務署における決裁の委任等を定める訓令二条以下の規定による委任に基づき、翌六日に墨田民商会員が多数で来署した場合、その庁舎内立入りを認めることは執務に支障をきたすものと判断して、直ちに関係職員に対し、翌六日に民商会員が複数以上で来署したときは、とびらをしめて庁内に入れないことなどを指示し、翌六日朝、当時の署長小島多計司にその旨を報告して了承を得たこと、
(8) 三村は、当時、向島税務署総務課会計係長の地位にあつて、大蔵省組織規程一四一条一項一二号、一七号、国税庁昭和四六年七月一日訓令特七号国税庁事務分掌規程二三九条、東京国税局長昭和四六年七月一日訓令一五号税務署の総務課及び管理課に置く係の事務分掌を定める訓令三条一項一八号及び二〇号、四条、前記東京国税局長昭和四六年訓令一二号九条等により、庁舎の管理及び庁内の取締に関する総務課会計係の事務を掌理する立場にあり、市川の右指示を受け、被告人らの庁舎内立入り阻止のため、本件犯行発生当時、正面玄関のとびらをしめ、必要なときだけ開閉するなどの職務に従事していたこと
以上の各事実が認められ、証人小島三郎、同山下修平、同大山茂の各原審公判供述中、以上の認定に反する部分は信用できない。
(四) そして、右認定の一連の事実によれば、本件において、被告人らを含む複数以上の墨田民商会員の庁舎内立入りを認めることによつて、執務に支障をきたすような事態の発生は客観的にも予測されていたものと認められ、被告人らの庁舎内立入り禁止を内容とする市川の前示措置ないし指示は適法といわざるを得ない。そして、このことは、前記認定のように、当日、向島税務署に赴いた墨田民商会員が被告人を含め六名に過ぎず、その目的が前示のとおりであつて、六名のうち三名は規制を受けることなく庁舎内にはいることができたほか、記録中の関係証拠によれば、この三名は庁舎内で平穏に後続の被告人ら三名を待つていたことが認められ、また、とくに原審で取り調べた裁決書写(前同号の六)によれば、寺門の税額に関する不服は、後日東京国税不服審判所において大幅に容認されるに至つたことが認められることなどの諸事情によつても、左右されるものではない。また、三村の原判示の職務執行が適法であることも明らかである。以上の点に関する原判決の説示は抽象的で、十分な根拠を明示せず、措辞に妥当を欠く点もないではないが、結局は以上の認定・判断と同趣旨を示しているものと解される。
(五) 証人市川は原審第一〇回公判において、向島税務署非常事態対策要綱に基づき、とびらをしめることを指示した旨供述し、記録中の関係証拠によれば、当時、向島税務署では、右要綱(前同号の一によるもの。)の実施されていたことが認められる。しかし、とくに証人市川の原審各公判供述によれば、右要綱は、向島税務署限りで作成・実施されていたもので、何ら外部に公示・公表されたものでないことが認められるから、外来者の署内立入り規制の根拠となりうる性質のものではなく、その記載内容に徴しても、非常事態が発生した場合または、その発生のおそれがある場合における署員の任務、配置、編成等を規定したものに過ぎないことが認められ、証人市川の右原審第一〇回公判供述も、右の趣旨を供述したものと解される。まして、本件において、右要綱を抜きにしても、市川による庁舎内立入り禁止の措置ひいては三村の職務執行が適法であることは前記判示のとおりである。したがつて、右要綱が署内立入り規制の根拠になつているとして、憲法一四条、二一条違反を主張する所論は前提を欠き失当である。
(六) 所論(四)は本件庁舎内立入り阻止が違法であるとして、その理由を縷縷主張するので付言するに、まず、市川らによる右の庁舎内立入り阻止は、税務署庁舎管理の一手段としてなされたもので、内国税の賦課徴収とという税務署本来の行政目的を直接実現するためになされたものではなく、また、立入り阻止の態様は、原判示のように、ただ庁舎正面玄関のとびらをしめて被告人らが庁内にはいらないようにしただけであり、被告人が妨害した三村の職務執行行為の中に強いて強制の要素を見出そうとしても、記録中の関係証拠によれば、たかだか、無理に玄関内にはいろうとする被告人の前に立つて足を踏ん張り、玄関内に入れまいとしただけであることが認められ、もとより、被告人に対する実力行使ないしは強制とはとうていいえないものであるから、右立入り阻止ひいては三村の職務執行は、いかなる意味においても、行政上の強制の範囲内に含まれず、また、もとより行政上の即時強制にも当らないと解するのが相当であつて、これが即時強制であることを前提とした所論は、前記(五)を含め、いずれも前提を欠いて失当である。また、庁舎管理権は、単に公物である庁舎の物的状態を保持する権能のほか、庁舎内における業務の遂行を確保し、秩序を維持する権能を含み、その権利行使の結果、庁舎の出入りに関して対人的規制が生ずることも許容されるものと解すべきである。さらに、右立入り阻止の法的根拠については、以上に判示したとおりであり、その要件ないし制限基準が不明確なものとはいえず、これらにつき法律上、直接明示の規定がないからといつて、法律上の根拠を欠くものとはいえない。また、以上のように解したからといつて、憲法四一条に違反するものでないことは多言を要しない。所論は採用できない。
(七) 所論(六)(憲法一五条二項違反等の主張)については、憲法一五条二項は、公務員は全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者でないとして、公務員の在り方につき基本理念を示したもので、もとより国民が官公署の庁舎に出入りして、その役務を享受することに全く無関係の規定とはいえないけれども、国民の庁舎内立入りを認めた直接の根拠規定ではなく、まして外来者の庁舎内立入りが執務の支障をきたすと予想される場合にまで、なおかつ外来者の庁舎内立入りを保障する趣旨の規定と解することはできない。これと異なる所論は憲法一五条二項に関する独自の見解に基づくものであつて採用できず、原判決にはもとより、市川の前記立入り禁止の措置ないし三村の職務執行についても、所論の違憲なしい違法があるとは認められない。
(八) 以上の次第で、三村の本件職務の執行は適法であり、これと同旨の原判示は結局相当であつて、この点に関し原判決に所論の事実誤認ないし法令の適用の誤りは認められない。
七 その他、所論にかんがみ、記録及び証拠物を調査しても、原判決については、絶対的控訴理由のないことはもとより、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認ひいては法令の適用の誤りも、何ら認められない。
八 以上の次第で、論旨はすべて理由がない。
よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用の負担につき同法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 石田一郎 小瀬保郎 南三郎)